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Bordeaux (17/06/1940)

何時か漫画にしたいネタ。
兄ちゃんと第五共和制初代大統領です。





「Bonjour.お出掛けですかな閣下?」

 2mもある丈夫が薄明の時分からきっちりと着込んで何やら忙しそうにしているなんて、何か無いはずがないだろう。そう笑ってやると、久し振りに見る顔がこちらを向いた。こんな情勢下でも誇りを失わないその目は、彼の今の役職を不相応だとは言わせないものだった。
 逆に自分はといえば土埃を払う暇もなくといった風情で、軍装さえ解いていない。体を動かすたびに何処かでかすり傷が痛む。そろそろ一つずつ相手にするのが面倒になってきたところだった。
「戻ってきていたのか、ヴェルダンに居るものだと思っていたぞ。」
「マジノ線は瓦解したからな…あそこも時間の問題だよ。それに、ペタンが…」
「聞いている。だからこうして向こうに行く準備をしているんだろう」
 バタン、と小さ目のトランクが閉じられ施錠される。あれも彼と一緒で自分と自分の愛する者達の希望を乗せて今から海を渡るのかと思うと、只の無機物とは思えなかった。
 彼の支度を見ていられなくなって俯くと、乾いた泥が耳元の一房からぱらぱらと落ちる音がした。目にも砂が入ってちりちりと痛む。
「ここまでは遠かったろうに、ありがとう」
 砂を拭うように頬を撫でられる。そんなに柔じゃないと言って手を払いたかったが、駄目だ、今は。顔が上げられそうにない。
「そりゃもう、大変だったよ。無理言って輸送車に乗せてもらったんだ。自分の家で密入国紛いの真似なんて、もうやりたかないね。」
 彼はまるで自分の息子にするように、俺を抱きしめて背中を慰めるように軽くたたく。あーあ、折角のお粧しだったのに。埃まみれになっちまうぞ。
「…すまない、こんな解決策しかなくて。しかし今は奴を頼りにするしかないんだ…オランダと同じにな。今日ほどこの海峡を有り難く思ったことはないよ。」
「わかってる。ダンケルクから逃がした兵と、…俺を、頼む。」
 装備の喪失はどうにでもなる、兵がいるんだから。背伸び気味に彼の肩に顔を埋めて言えば、満足そうに笑った気配とともに薄汚れた体が解放された。
「やはり、残るんだな?」
「ああ、誰かがあの芋野郎の相手をしなきゃなんないからな。国民もいるし、俺はここを離れられない。」
「そうか…無事でいるんだぞ。」
「あんたこそな。」
 外で迎えの車が止まる音がする。これが一時の別れになると良い。そうでなければ、自分は、この国は。

「シャルル!」
「なんだ、フランス」
「戻って来いよ、戦力引っさげてな!」
「もちろんだ、その為でなきゃ奴となんざ手を組まんよ」
 外に出れば朝日はまだ街並みの影のすぐ上にあった。官用車のドアが開けられる。そこで彼は立ち止まって、互いの頬に親愛のキスを交わす。


 朝を迎えたばかりのこの港町から、大きな希望が飛び立っていく。走り去る車を最後まで見ていられなくて、街路にへたり込んでぼろぼろと流れ落ちる涙を血と泥で汚れた両手で拭った。

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