何だか思っていたものと随分違ったものが書けた、ような…
多分ニールさん視点。
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母方の祖父は本が好きだった。厳格さを持ち合わせない、柔らかく老いた人だった。
古めかしい家は図書館のようで、何時も黄ばんだ紙の匂いがする。手を伸ばした先には大抵本があって、暇な時には手当たり次第に読んでいく。文字を追っている間は他の事を考えない。そんな自分の頭の狭さが好きだった。
自分達に割り当てられた祖母の部屋だったと言う寝室も、例に漏れず古書の香に満たされていた。部屋のコルクボードには、骨董品のような祖父の一眼レフで撮られた写真が貼られている。その中は、今も在る人、既に亡き人の笑顔。勿論、祖母も。そして、あの三人も。
優しかったその祖父も二度目の春が来る前に亡くなった。彼を埋葬した後、親族での会食の席で今度の引き取り手は母方の叔母だと告げられた。喪服のまま荷物を纏めて彼女の大きめのバンに揺られる。他人からは親戚間の盥回しに見えるかもしれないが、皆優しい人たちだ。自分達から拒みたくなる程、やさしいひとたち。
最初から疑念は在ったのだ。このまま優しさに溺れても良いのか、何かすべき事が在るのではないのかと。時が経るにつれてそれらが膨らんでいき自分を急かしている気がしたのも、また確かなことだった。
そんな最中に、叔母からの問があった。
高等教育課程はどうするの、と訊かれた。この国では16歳までが義務教育課程で、その先に進む者は僅かだ。勿論そのつもりは無い。異口同音で答えれば、少し残念そうな顔をする。そう、あなた達がそうならいいんだけど。ならこれから、どうするつもり?大丈夫、言ってみて。彼女の表情は変わらない、少し残念そうで、寂しそうで、それでいて興味を忘れない。本当に、優しい人だ。
嘘をつく必要も無く、自分達の考えを話した。仕事を探すこと、彼女の元から離れること、遺児年金である程度は遣り繰りできること。彼女は驚いたように何回か瞬きをしてから、そこまで考えてちゃ止められもしないと苦笑した。笑うと妹に、似ていた。
16歳の、誕生日のことだった。
この選択が正しかったかは今でもまだわからない。急かされているというのは只の強迫観念で、動機として不十分だとは思う。それでも何かを変えたくて、彼女の元を離れたのだ。それだけは変わらない。
仕事を探して、それに見合うフラットを探して、家財道具を揃えて、彼女と別れた。別れ際の笑顔はやはり妹に似ていて、彼女の偶には連絡をしろという旨の言葉は殆ど耳に入っていなかった。
ささやかな二人の生活。質素倹約の筈なのに、本だけは溢れていった。路地を一本入った古本屋、その投売りのラックから、目に付いた本を買ってくる。それが日課になっていた。
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